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2007

4/12 勝浦町にて

4/12 勝浦町にて



River Katsuura

勝浦川: 横瀬橋付近から鶴林寺の方向を望む




昨日一日宿でのんびりしていたので、朝起きたときには足の調子は大分良いように感じられた.足の状態に不安があったのでとりあえず今日は歩けるところまで歩いてみて、様子を見てどこまで行くか決めるつもりでいた.


朝7時過ぎ、ふれあいの里さかもとを後にして坂本川沿いの緩やかな下りの道を下って行った.最初はそれほど足の痛みを感じなかったが、アスファルトの道が続いたせいか、歩くにつれ徐々に足の痛みが増してきた.痛みでいつもの半分のスピードも出せない.だんだん歩く姿勢が崩れて、しまいには左足を引きずりながらとてもぎこちない歩き方しかできなくなっていた.


まだ朝の早い時間だったので道行く人や車は殆ど通らなかった.時折車が通ると、立ち止まって休憩をしている振りをする.他の人に足を引きずりながら歩いている姿を見られたくなかった.自分でも何故だか分からないが、他人に労られたくなかった.車が私の近くで止まるとお願いだからどうか私に声を掛けないでそのまま通り過ぎてくれと願っていた.


とてもこんな状態では鶴林寺と太龍寺の2つの山越えは無理だろう.このままここでリタイアするしかないのかなどとネガティブ思考をするようになっていた.あまりの痛さにもうここで歩くのを止めたかったが、この時間にバスなど通りそうもなかった.もしバスが来ていたら、きっと誘惑に負けてバスに乗ってしまっていただろう.


途中で歩くのを止めることにしようとしても、ともかく勝浦町まで降りて行かないことには、バスにさえ乗ることができない.兎も角何としてでも勝浦町まで行ってそこでこの後の対策を考えなければならなかった.


皆からどんどん遅れていく焦り、痛みで思うように歩けない苛立ち、お遍路が続けられない悔しさ、それらが渾然となってとても惨めな思いで歩いていた.途中で慈眼寺に向かう歩き遍路の男性とすれ違ったが、お早うございますと挨拶を交わしただけで、それ以上話をする事もなかった.とても他のお遍路さんと話をするような気分ではなかった.


あまりにも悲嘆に暮れて歩いていたので、どの辺りだったかさえも定かではなかったが、私の後ろの方から『お遍路さーん』と呼ぶ小さな声が聞こえた.ハッとして振り返ったが、辺りを見廻しても誰も居ない.気のせいかなと思い再び歩き出すと、また『お遍路さーん ちょっと待って』というお婆さんの声が聞こえた.どうやら声は左手の後ろの家から聞こえて来るようだが、私の方からはお婆さんの姿は見えなかった.声のした家の方まで行ってみると、庭の縁側に一人の年老いたお婆さんが座っていた.


私が今日はと挨拶すると、お婆さんは『お遍路さん 御接待させて下さい』と言って、縁側から庭を通って玄関から居間へ入って行った.お婆さんの歩く姿がとても痛々しく辛そうだった.思わずそんな無理しなくて良いからと声を掛けようとしたが、お婆さんがあまりにも一生懸命だったので何も言えなかった.


お婆さんは玄関から這い蹲るように居間に入ると、テレビの上に置かれていたガラス瓶のような物を手に取ろうとした.精一杯手を伸ばして取ろうとするがなかなか手が届かない.代わりに私が取ってあげたかったが、靴を履いたままだったので部屋に上がる訳にも行かず、ハラハラしながら見守っていた.


やっとの思いで、小瓶を掴むと、瓶の蓋を開け中から小銭を取り出した.『これで冷たい飲み物でも買って下さい』と言って、300円を私の手に握らせてくれた.戸惑った.一瞬どうして良いものか躊躇ったが、素直に受け取ることにした.きっとこのお婆さんはお遍路さんにこのように御接待をすることが楽しみなのだろう.お礼を言い、ザックを下ろし、中から納め札とボールペンを取りだし名前と住所を書いてお婆さんに渡し、『南無大師遍照金剛』を唱えさせていただいた.


玄関の板の間に座り、お婆さんと暫く話をした.どうやらこのおばさんはこの平屋の一軒家で一人暮らしをしているようだ.炬燵の廻りに日常で使いそうな物が置かれている.体が不自由なのでなるべく直ぐ手が届く範囲に日用品を置いているようだった.


この不自由な体では日常の買い物にも行けそうもないのにどうしているのだろうか.家の近くにお店でもあれば良いが、どう見てもこの辺にはそのようなお店はありそうもない.心配になり思い切ってお婆さんに普段の買い物はどうしているのか聞いてみた.おばあさんの話では、週に2~3回移動販売車が廻って来るのでそれを利用しているのだと言う.歳を聞くと今年で83歳だと言っていた.この様子だともう大分長いこと一人暮らしをしているのだろうか.


このお婆さんはこの道を通るお遍路さんにいつもお接待をしているようだった.先日も若い女性のお遍路さんに私と同じように御接待させて貰ったと言って嬉しそうに納め札を見せてくれた.何でもお婆さんの話ではこの納め札の持ち主は北海道から来ている○○歳の若い女性で歩いて遍路をしている人だったと言う.何だそうだったのか、北海道の彼女もこのお婆さんに呼び止められお接待を受けたのか.彼女がここを通ったのは慈眼寺にお参りに行った時なので、一昨日の事だ.彼女とまる1日分差が付いてしまい、もう一緒に歩けないのかと思うと一抹の寂しさがよぎった.


もっとこのお婆さんの話し相手になってあげたかったが、話し下手で何を話して良いのか分からなかった.お婆さんの話し相手にもなれない自分が不甲斐なかった.お婆さんにお礼を言い、再び勝浦町方面へ向けて歩き出した.歩いている途中涙が止めどもなく溢れ出てきた.何故だか自分でも分からなかったが、まるで涙腺のダムが決壊したようだった.心の慟哭とでも言うのだろうか.嬉しさや悲しさ、寂しさや切なさ、やるせなさ、それらが一緒くたになって自分でも訳が分からずただひたすら歩いていた.足の痛みのことなど全く忘れていた.忘れていたと言うより気にしている余裕などなかったのかもしれない.


このお婆さんとの出会いによって、これまでお遍路を止める方向へ傾いていた気持ちが、このままお遍路を続けるんだという前向きな方向へ変わった.恐らくこのお婆さんとの出会いがなければこのお遍路を続けることができなかっただろう.お婆さんの代わりに札所にお参りをしてあげたいという気持ちがこの後のお遍路を続けることができた原動力のような気がした.このお婆さんが私に不思議な力のようなものを与えてくれたのだと思う.


この足の怪我は1日や2日では治らないだろうが、再び歩けるようになるまでゆっくり休んでいれば良いではないか.とりあえず一旦徳島市内に戻ってそこで足を治してから、また出直す事にしよう.勝浦町まで行けば、徳島市内へのバスの便がある筈だ.勝浦川に架かる横瀬橋の手前に差し掛かったときに道沿いに整骨院があった.そうだ徳島に戻る前にここで足の状態を診て貰ってから今後の計画を立てることにしよう.


診療時間の案内を見ると今日は午前9時から診療が始まるようだ.時刻はまだ8時前だったので、9時の診療開始まで暫く勝浦川の土手で暇を潰すことにした.通学の小学生や中学生が自転車で通り過ぎていく.何故か田舎に行くほど子供達がきちんと挨拶してくれる.都会の子供達を見ているとこの国の将来がとても悲観的に見えてしまうが、田舎の子供達を見ていると何となくホッとする.


勝浦川の土手に寝そべりながら、鶴林寺の有る方角の山を恨めしそうに見つめていた.天気は良いのに山に登れないのは何とも恨めしかった.これまで一緒に歩いてきた人達がどんどん先に行ってしまい、私の手の届かない所に行ってしまったようで何とも言えない焦燥感のようなものを感じていた.9時になり、整骨院で足の状態を見て貰った.


自分で見ていてもかなり左の足首が腫れているのが分かった.X線設備が無いので骨の状態までは分からなかったが、数日安静にしていれば痛みや腫れは治まるだろうと整骨院の先生が言っていたどうやらそれほど深刻な怪我ではなさそうだったのでホッとした.軽い捻挫といったところだろうか.高周波温熱治療を受け、足全体をマッサージして貰った.マッサージ中に先生がこんなこちこちに固まった筋肉も珍しいといって、嬉しそうに力を入れてマッサージをしてくれた.先生の手に力が入る度に私はギャーという悲鳴を上げていた.


いきなり毎日30~40km近く歩いてきたのだから無理もない.それだけ歩き遍路というものが過酷なのだろう.最初のうちはお遍路に対する強い気負いが先行しているので、体の疲労など感じている余裕がなかったのかもしれない.どうやら私の体は正直に疲れた言ってくれたようだ.


治療が終わり、整骨院の先生や奥さんたちと雑談をしていたら、歩いて四国を一周するということがこの人達にとってはとても信じられない事のようだった.お遍路の文化が深く根付いている筈の徳島でも、若い人にとっては歩き遍路という行為自体がピンとこないのだろう.そう言えば、今回の旅で出会った四国の人達も88箇所の札所参りはされているようだったが、車で廻るのが当たり前で、歩いて廻ったという人は殆ど居なかった様な気がする.


整骨院の先生が今夜はこの近くの宿に泊まってゆっくりして足の状態が回復するのを待ち、明日鶴林寺へ向かえば良いというので、この後どうするか考えあぐねていた.徳島まで戻ればビジネスホテルがたくさんあるので宿泊先の心配は要らないのだが、またここまで戻ってくるのも正直面倒だった.最初整骨院の先生が、ふれあいの里さかもとを勧めてくれたが、流石にさかもとに戻るのはあまりにも閥が悪かった.金子やさんに電話を掛けてくれたがやはり既に予約が一杯で今夜は無理なようだった.徳島市内へ戻るから宿は大丈夫ですと言ったが、既に先生の奥さんが、直ぐ側のかえでという宿に電話をしてしまっていて今夜泊まることになっていた.


結局断り切れずに今夜はかえでに泊まることになてしまった.この宿が少し体の不自由な老婆が一人で切り盛りしているので、食事の支度が一切できないということは知っていたのでできれば他の宿にしたかったのだが、まあこれも何かの縁だと思って諦めた.


この整骨院からかえでまでは50〜60m程の距離なのだが、整骨院の奥さんが車で送ってくれるという.全く歩けないのならば車で行くというのも納得するが、どう考えても歩いて行った方が早い.奥さんはまるで車で行くのが当たり前のような感じでさっさと車を出す準備をしている.暫くあっけにとられていた.車がないと生活ができないのは分かるが、でもここまで車漬けの生活というのもどうなのかと思ってしまった.歩き遍路をしていると殊更四国の人達の車依存の生活が気になってしまった.


奥さんの運転する車で、かえでに向かった.横瀬橋の橋のたもとの信号待ちで、待たされので、車と同時に歩き出しても、歩いた方が早かっただろう.宿に着くと老婆がが出てきて2階の部屋に直接入るように言われた.正面玄関の階段で2階に上がった.一昨日、さかもとに向かう途中で横瀬橋からこの宿の外観は見ていたので、この宿が古くて相当痛んでいるのは知っていたのだが、中に入ると、想像以上に古びていた.ここがとても現役の宿だとはにわかに信じられなかった.まるで何十年か前の貧乏学生のボロアパートでもタイムスリップしたようだった.何年も前の古びた少年漫画や雑誌が無造作に下駄箱の上に積まれていた.


この宿のお婆さんは大分体が不自由なようだった.このお婆さんが一人では宿の部屋の手入れまで手が回らないのも無理は無い.近くのお店でパンや飲み物を買い込み、薄暗いボロボロの部屋の中で、古ぼけたTVを見ながら昼食のパンを食べていた.それにしても昼間でも何となく薄気味の悪い建物だ.今夜は私以外に宿泊客は来るのだろうか.こんな所に一人で泊まることにならなければ良いが... 


外に散歩にでも行きたかったが、これ以上歩きたくなかったので炬燵で昼寝するぐらいしかすることがなかった.やがて夕方になったが、案の定他の宿泊客は誰も居ないようだ.今夜はここに一人きりで泊まるのかと思うと思わずぞっとした.部屋のインターホンが鳴ったので、何かと思いでてみたら宿のお婆さんが雑煮を作ったから1階まで取りに来てくれという.宿のお婆さんが足を怪我して満足に歩けない私を見て不憫に思ってくれたのか、お婆さんの夕食をお裾分けしてくれたようだ.とても美味しいお雑煮だった.お婆さんの心遣いがとても嬉しかった.


夜になるとこの宿の怖さに一層拍車がかかった.トイレやお風呂場は廊下の端にあるのだが、部屋から廊下に出るのが恐かった.こんな恐い思いをしてトイレに行ったのは、子供の頃田舎の親戚の家の母屋の外のトイレに行ったとき以来だった.


この夜は恐くて部屋の明かりとTVをつけ放しのまま布団に入ってしまった.朝が早く来ることをこんなに待ちわびたのも久しぶりだった.翌日、無事鶴林寺、太龍寺の山越えができたと電話でお婆さんに連絡すると、お婆さんが喜んでくれた.私のことを心配していてくれていたようだった.宿の設備やサービスはこれまで綺麗で快適な部屋に泊まってきた人達にとっては、決してお世辞にも良いとは言えないような宿だったが、この宿での出来事もとても思い出深い印象に残るものだった.

 

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